起業したきっかけは何ですか?
武石僕はもともと、そんな「社長になりたい!」みたいな想いがあったわけでは全然なくて。
自分が16歳ぐらいの時ですね、母親がアパレルの会社をやっていたんですけど、それがうまくいかなくなり、自己破産してしまって。父親がもともといなかったので、どうしようかなーみたいな時期がありました。家にお金がなくて。
自己破産すると、7年間は名義が使えなくなるので、カードも作れないし車のローンも組めない。賃貸契約もできず、何もできない。その状態で、父親はいなくて母親は自己破産なので完全に家に収入がありませんでした。
僕は僕で生きていかないといけなくて、お金は自分でどうにかしなきゃいけないっていう状況の中、個人事業としてやり始めたっていうのが一番のきっかけですね。
吉泉当時、高校生ってことですよね。
武石そうです。やらざるを得ない状況で、自然とそうなってましたね。
最初は営業代行みたいなところから始めて、それからプログラミング勉強して、今に至ってる。そんな感じですね。
吉泉高校生で営業代行って、色々な意味でハードルめちゃくちゃ高くなかったですか?
武石先輩がやっていたのをマネした、っていうのが最初の入り口でした。
とりあえずもうお金が欲しいじゃないですか。生きていくお金がないので、お金だけを追い求めてずっとやってました。
で、営業代行で月30〜40万くらいは頑張って稼げるようになりました。
吉泉そんな中、どういったきっかけでプログラミングを始めようと思ったんですか?
武石ちょうど堀江 貴文さんとdivのマコなり社長との対談がバズってる時でした。
それを見て、とりあえずプログラミングスクールに入ればこの先困らないだろうみたいな。それで入ったのがきっかけでしたね。
プログラミングが全くできなくて・・・。できるメンバーはみんなフリーランスエンジニアになりたいって言ってたんですよ。
そこで、僕は営業ができたので、獲得した案件をみんなに振り始めたのがWeb制作会社を立ちあげたきっかけですね。
吉泉へえ~、それが20歳くらいの話ですか?
武石18歳の誕生日に起業したんですよ、たしか。
吉泉僕の中で世界観が広がりますね。18歳でそんな人いるんだなぁと。僕なんて鼻くそほじくってましたよ。18歳の頃なんて。
とてもかっこいいですね。18歳で「営業できるから案件とれる」って確証あったっていうのも。
武石それしかないなと思って。僕プログラミングできないし・・・。
他の人に比べたらほんとに全然できなくて。でも早く卒業したかったので、課題は他の人に全部任せてました。課題に手を触れずに卒業するという(笑)その分、案件数は提供できていました。
吉泉いい関係ですね。それが起業のきっかけというところですね。
武石そうですね。
あと、就職しなかった理由としては、それくらいの時期に終身雇用はもはや当たり前じゃないみたいなニュースを見て・・・。みずほ銀行が3万人解雇とか、損保ジャパンが1万5000人?2万人ぐらい解雇とか。そういうのを見て、「あ、就職しても別に安泰ってないんだ」と思ったのも理由としてはありましたね。
吉泉それが17、18くらいですもんね。
武石17ですかね、多分。
僕が通っていた高校はあまり頭の良い高校ではなかったので、頑張っても進学できるのは日東駒専くらい。でも、日東駒専に行って就職できるのって例えばみずほ銀行とか損保ジャパンとか。そこに行けても急に解雇されちゃう人生なんだなって。
じゃあもう好きなことやっちゃえっていう感じです。割とネガティブな気持ちから入ることが多いかもしれませんね。
起業するに当たって一番苦労したことは?
武石副業メンバー含め、最初は5人で会社を立ち上げました。
そのメンバーのうちのひとりが、本業の方できつい思いをしていたみたいで・・・。きつくなった理由としては、その人が入社直後にコロナにかかっちゃったんですよね。だから最初から誰ともコミュニケーションが取れないみたいな状態。
結果的にノイローゼになって、自殺しちゃったんです。
23歳の人でした。その時ですかね、一番きつかったのは。
その件の半月前くらいに、彼から「副業みたいな形でなく、早く本業として一緒にできないか」みたいな話がありました。
僕としても「今の会社が結構つらいのかな?何かあったのかな?」とは思いつつも、会社自体にまだ案件が大量にあったとかお金に余裕があるって感じではなかったので、まぁもう少し待ってみたいな話をしていました。
その半月後くらいに訃報が来たので、かなりショックでしたね。どうにかできたんじゃないかなと思い。
社長になってから一番嬉しかったことは?
武石みんなで案件取った時はすごい盛り上がりますね、会社として。楽しいなって。
大手相手だと1回の商談じゃ決まらないので、何回も何回も商談重ねて、長いものだと2年ぐらい商談を重ねるんですよね。
その間、途中で先方担当が変わったりとか、違う部署と繋いでもらったりとかあったんですけど、うちも提案に色んなメンバーが関わったので、それが取れた時にみんなに「案件取れたよ!」ってLINE送った時が一番興奮しましたね。
吉泉2年って相当ですよね。
武石2年かけましたね。相手が大きかったっていうのもあったので。でも結構楽しかったです。
吉泉勝因はなんでしょう?
武石会う前というか、打ち合わせ決まった段階から資料をガッツリ作り込みました。
先方の課題は貰っていたので、それに対しての資料をガッツリ作り込んで話をして、っていうのを3〜4回繰り返したんですよ。
そうしたら先方の役員の方から「何かしら御社とやりたい」という意向をいただいて。その上で何ができるかっていうのを1〜2ヶ月に1回ぐらい壁打ちしてやってました。
吉泉いきなり資料ガッツリですか。
武石最初から本気で作り込んでましたね。
打ち合わせって最初ヒアリングから入ってそのあと商談みたいな流れじゃないですか。でもその会社とだけ、事前に課題を知ってたって言うのもあったし、僕が好きなビジネスモデルだったので、何かしらしたいなっていう思いで最初から作り込んだっていうのは結構大きかったかもしれないですね。
吉泉その企業のサービスにコミットしたいという想いがあったのですね。
武石はい。それを感じてくれたって言うのがあったかもしれないですね。
社長として一番大切にしていることは?
武石感謝はずっとしてますかね、みんなに。
感謝するっていうのはずっとやってますし、これからもやり続けることだとは思ってますね。
僕は結構できないことが多いんですね。それこそプログラミングもできなくて諦めたりとか、時間管理できなかったりとか。
みんながどうにかして助けてくれて、サポートしてくれてるって体制なので。
みんなに感謝はずっとし続けるっていうところですね。
吉泉大事ですよね。感謝するっていうのは。
武石あと、社長としてというか会社として「運動しよう」と言ってます。「運」を「動かす」で「運動」なので。
やっぱり走ったり動いたりとかしてると何でか知らないけどポジティブに働くんですよね。
ある時、今の会社のメンバーに「一緒に走ろう」と言われて。「走ろう」って、「走りきろう」みたいなイメージの話かと思ってたら、皇居ランニングしようって意味で。
走り始めてから結構ポジティブになって心境が変わり始めました。
毎週月曜日にランニングしてるんですけど、それはずっとやってますね。2年半くらい毎週ずっと走ってます。
吉泉どれくらい走られてるんですか?
武石そうですね・・・。結構場所変えてて、ほとんど皇居なんですけど、たまにスカイツリーの方まで行ったりとか。お茶の水からスカイツリーまで10キロくらいですかね、往復。結構バラバラですね。
吉泉走ってるだけあって結構スタイリッシュですもんね。
今後のビジョン、目標
武石中期的な目標は、最年少で上場。
吉泉上場!
武石はい。長期的な目標もあります。
母が自己破産したり、メンバーのひとりが亡くなってたり、父親がポンコツだったり、兄貴が精神病だったり、僕自身も二級障害の病気持ってたりとか。なんかわりと変な環境ではあるんですよね、プラスではない環境にいたかなというのは思っていて。とは言え、なんだかんだ結構ポジティブにやれているし、前を向いてやれてるんですけど。
一方で、そうじゃない、同じ環境もしくはもっとひどい環境、もしくはひどい環境じゃない人でもネガティブになっちゃう人って多分いっぱいいると思っていて、そういう人をポジティブにさせてあげたいです。
ポジティブにさせてあげたいって言うとおこがましいので、ネガティブじゃない捉え方を示してあげたいっていうのは長期的目標としてはあります。
その前段として、ただの人間が発信したところであまり影響力ないと思うので、ちゃんと「最年少上場」っていう肩書きを持ちつつ動いた方が影響与えやすいかなっていうことで今は動いてますね。
あとは、結構アウトローの人達がうちの会社には多いので、最終的には「学校を作りたい」みたいな話も出てます。
僕は高校辞めてて、うちのCTOも中卒で、学校知らない人が学校作ったらおもしろいんじゃないか?っていうのは今話してますね。
吉泉聞いたことないですねたしかに。学校知らない人が学校作るっていうのは。
どうなるんだろう。おもしろそうですね。
社長になりたい若者へメッセージ
武石これが一番難しいですね。自分世代に向けてってことですもんね。
吉泉ハタチ前後の人って、社長になりたがってる人すごい多いんですよね。どうやったらなれるかっていうのを知りたい方が多いので、そういう方に向けて現役若者社長ということでメッセージをいただきたいです。
武石僕が社長になったきっかけっていうので「母親が自己破産して〜」みたいな話さっきしたんですけど、言っても大変だったのは7年なんですよね。
7年名前使えない、7年起業できない、7年カード作れないとか。
最悪、自己破産してもまぁ20歳から27歳を我慢すればその後もう一回チャレンジできるじゃないですか。僕はチャレンジって何回もできるものだと思っていて。
でも40歳で失敗して47歳でもう1回ってなると数が限られるじゃないですか。残りの人生の中で。
なので「早いに越したことはない」のかなって。やりたいことは。
ていうのと、さっきお話ししたように、終身雇用なんてもうない時代になっているので、早めにスキル溜めていく方がいいのかなって思います。
別に「社長になる」が優先度高くなくてもいいと思うんですけど、「自分のスキルを磨く」っていうのと「実績を集める」っていうのは早めに動いていいのかなとは思いますね。早いに越したことはないかなって。
吉泉早いに越したことはないから早めに動こうってことですかね。すごい説得力ありますね。僕自身にも参考になります!
武石ありがとうございます(笑)